夢の中で生きている。

























◇ to be ◇






存在する筈のない顔。
気配。
ガラス玉のような瞳。
手を伸ばして触れてみても、悲しいまでに冷たい頬。


海馬は細い眉をきゅっと眉間に寄せて皺を作った。
童実野の街にこんな場所があっただろうか。
出張帰り、事故で強烈な渋滞を回避するために抜け道に入った。いつもとは違う道に別段の違和感すら覚えなかった。
自分とした事が、だ。
そのおかげで、今。
こんな蜘蛛の巣が張ったような洋館の前で、車を停めねばならなくなった。


飛び出して来た人物。
やけに古めかしい濃紺の布を被った小柄な男は顔を見せずに、人形師であると名乗った。
見るからに胡散臭い。
けれど、海馬が足を止めたのには理由がある。


「お前があんまり憐れだから、これをあげる」


そう言って差し出されたのは、裸体の人形だった。
白く滑らかな陶器のような肌。
赤い髪。
細く華奢な手足。
何よりもその意志の強そうな唇と眉。
小さな、つんと上向いた鼻。
それは紛れも無い決闘王である彼の姿をした、魂のない入れ物。


海馬は暫く「それ」を凝視した後、鼻で笑った。
「下らんな」
「下らない?」
「そんなものを、オレに突きつけて何の意味がある。馬鹿げている。決闘王の等身大の人形になど、何の意味もない」
有無も言わせず吐き出した海馬は、目を閉じると踵を返して停車している車に戻ろうと足を進めた。
しかし、それを又あの人形師が阻んで止めた。
「ならば、この人形は捨て置こう」

その言葉に、まんまと足が止まる。
ちらりと振り返ると、人形師は人形を背後から両足を抱きかかえ海馬の眼前にその下肢を広げて見せた。
薄桃色の、秘められた場所にそっと指を這わせる。
真綿で包むように。
「人形とは言え、ここに挿入すれば誰かに悦んで貰えるだろう。お前がいらぬと言うのなら、この人形はここに捨て置く」
とろりと、雫が一筋垂れ落ちた。
「元々、この人形は愛玩人形」


遊戯の顔をした人形は、ただ黙している。
だらりと重力に逆らわず垂れ下がった腕。
華奢であっても、カードを引く瞬間に誰よりもしなやかに動く指。
それが今は何の力も感じない。
その指先を、瞬きもせずに見つめた後で緩く唇を開いた。


憐れなのはオレではない。
貴様だ、遊戯…。


人形師は笑った。









あれから一週間。
その人形は、夢の中に生きている。


以前、遊戯が気に入っていた一人がけ用の飴色のソファに座らせた。足は素脚のままだが、裸体ではあまりなので体には自分のシャツを一枚、身に纏わせた。
ぼんやりと僅かに開いた目が気になって、仕事に集中できないのだ。いっそ閉じさせてしまった方がいいかもしれない。
コツコツと靴音をさせて、人形の目の前まで歩み寄る。ふいにその顔を覗き込むと白い頬に己の暗い影が落ちるのを他人事のように見つめた。

お前であって、お前でないのなら、これ程に意味を為さない事などあるだろうか。
お前の指がカードを捲らない指ならば、そんな指はいらない。
お前のその赤い目が、このオレを見つめないのであれば、そんな瞳は必要ない。
お前の唇が、言葉を紡がないならば、そんな喉はなくていい。
彼はいつも小気味いいまでの物言いをした。
そして時には謎かけのように、海馬を試したのだ。


「………」
海馬はふと、耐えるように唇を噛んだ。
シャツの合わせ目から覗く胸。
その小さな突起に指を伸ばす。
悪戯に挫けば、お前は笑って体を委ねた。
それが今はどうだ。
乱暴に引っ張っても、噛みついても眉一つ寄せる事はない。

こんなもの、まやかしに過ぎない。
お前がお前でないのなら、このオレには必要ない。
お前だけ。
全ては、遊戯。
お前だけだ。


それならば、自分が汚して捨ててやろう。
その後で、通りすがりの誰かに汚されて、唾を吐かれて無様に転がるがいい。

海馬はフッと唇を綻ばせると、ベルトの金具を外してジッパーを下ろすと己の怒張を取り出した。
人形が座るソファのスプリングを軋ませて、片膝を乗せる。
何度も掌で擦りたて、ただ事務的に解放へと導いてやると直ぐに熱が上がってくる。
「ふ…はあ…」

静かな、僅かな空気の鳴る音ですら吸い込んでしまいそうな静寂の中に、濡れた音が響き渡る。

「貴様が好きで堪らなかったものだ…とくと味わうがいい」
きゅっと親指で先端をひっかくと同時に痺れるような愉悦が襲った。


「あ………、…ぎ」


目を閉じ、熱に身を任せる瞬間に脳裏を過ぎった面影に海馬は、思わず口腔だけで名を呼んだ。
フラッシュバックする。
真っ白に溶けていく。
お前も、このオレでさえも。

ただ、座っているだけの人形は、海馬の迸りを避けもせず黙って顔で受け止めた。
白い頬を伝って、粘度の高い雫が滴り落ち床に染みを作った。
それを冷たく見下ろして、海馬は背もたれに腕をつくと、そっと人形の唇に自分の唇を重ねた。



憐れなものだな。

お前も、オレも…。



その刹那だった。
ふいに背後から声がかかったのは。
海馬は驚いて、反射的に振り返り背筋を伸ばした。
「貴様は…」
テラスに通じるガラス扉の前。
闇に溶けるように、その人形師は立っていた。
「…どこから入った。不法侵入で訴えるぞ」
ぎらりと睨んでやったが、人形師は相変わらず無表情のまま口を開いた。
「そう、お前は憐れ」
「…」
「だから今宵一晩だけ…たった一つ願いを叶えてやる」
「なんだと?」
「ただし、それには条件がある」
人形師は、そっと鉛を持ち上げるように重たい仕草で腕を伸ばして海馬を指差した。
「お前の大切なものを預からせてもらう」
その言葉にいよいよ、海馬の不信が顕になった。
一体なんだと言うのか、この男は。
「貴様は一体何者だ」
喉を震わせて凄んでみるが人形師は、気にも止めずに淡々と言葉を紡ぐ。あるいは…海馬を試すように。
「オレが望むのはお前の弟。もしくはお前のその美しい目を貰おう」
「ふざけるな!」
「どちらを選ぶ」
「叩きだされたいようだな」
咬み合わぬ会話ほど海馬を苛つかせるものはない。
人形師に向って歩みを進めようと一歩を踏み出したその瞬間に、目の前の彼は小さな口を吊り上げて笑った。
「なぜ拒む?たった一晩だ。たった一晩、お前の弟かその目を渡せば願いを叶えてやると言うのに。言葉に出す必要もない。心で願えばいい」
「いい加減にしろ!」

海馬の渾身の怒声にも、人形師は怯む事はない。
その代わり、ただ切なそうに目を細めた。
「お前が憐れでならない」
「な…」
「お前が、憐れでならない…海馬」

喉に引っかかるような掠れ声。

目を見開いた。
しかし、次に瞬きした瞬間には自分の視界は真っ暗だった。
深くて縋るもののない闇の底。
突き落とされたように愕然と、目を開いてみる。
「馬鹿、な…」
思わず、床に膝をついた。
くらくら眩暈がする。


「願ったな、海馬…」
「…き、さま…」
「約束通り、叶えてやる。たった一晩…お前も夢の中で生きるがいい」
「待て…!」
直ぐに傍らで風が動く気配がする。
海馬は無我夢中で腕を伸ばした。
捕まえねばならない。
今度こそ。

しかし、指は空を切った。
それでも海馬は、死ぬ気で左手を伸ばした。
そして触れる。
温かい、からだに。

夢中で引き寄せた。
小さな悲鳴が上がるのを、どこか遠くで聞きながら己の胸の中へと渾身の力を込めて閉じ込めた。

「人形師か…それとも…」


しかし、腕の中の温もりは答えない。
ただ、静かに大人しく抱かれていた。


「馬鹿だな…目を差し出せば、決闘できない」
「………オレが、決闘を望んでいたと…?」
「人形に、魂は宿ることはない。けれど、夢なら…或いはもしかしたら…」
「お前との闘いを最後まで望んでいたと、お前は言うのか」
「………」
「答えろ、遊戯!」

名前を、呼んでしまった。
握り締めた肩が震えている。
なんて小さな肩なのだろう。

「海馬、言葉は嘘をつく。けれど…心は嘘をつかない」
「………」
「お前の願いは、たった一つ」
「…っ」
逆に、抱き締められた体。
「海馬」
その柔らかな感触に、海馬は思考が弾け飛ぶのを感じた。
唇を押し付ける。
何度も、強く。
弄るように、体に掌を這わせば、耳元で甘い息が漏れた。
興奮する。
夢であっても、現実であってもその境目であっても。
手に触れているのは、お前自身。


誰よりも、何よりも求めたのは。



遊戯、お前に勝つこと。













目が覚めると、無様に床に転がっていた。
頭を覚醒させようと軽く振ると、視界に光が射す。
振り返った。
いつも、彼が自分を待っていたソファを。


そこは蛻の空だった。
消えてしまった人形師が、還してしまったのだろう。
元より、自分には必要のないものだった。



「一夜限りの…か」
下らない妄執だ。
例え、夢であっても…生あるものを尊重する。
自分は、そういう人間だった筈。
それでも、願うことくらい、許されてもいいだろう。


海馬は起き上がると、そっと彼が出て行ったであろうテラスに続く扉を開け放った。







END
大砂様の所でキリ番77777hitをGETしました。
キリリクは「ラブドール」vvv
素敵な内容です!!!!
大砂様ありがとうございます<(_ _)>



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