■ PANICK LOVERS 


「今日は遅くなる」
「分かったぜ。飯は?
ふと逡巡した後、海馬は答えた。
「帰って食べる」
少し屈んで遊戯の滑らかな頬に一つキスを落とすと彼は擽ったそうに首を竦めてみせた。
「了解したぜ・・・あ」
「何だ?」
フフンと挑戦的に笑うと今度は遊戯が少し背伸びをした。
「ネクタイ、曲がってるぜ」
言われて目線を落とすと遊戯は細い指を器用に操ってきゅっと締めなおした。
「フン・・ま、80点というところだな」
「言ってろ」
ニヤリと微笑んで海馬は「行って来る」とだけ短く言葉を発して磯野が待ってい重厚車に足早に向う。海馬が車に乗り込むと磯野はペコリと遊戯に向ってお辞儀をする。これが磯野の毎日の日課だ。その磯野と海馬に向って遊戯は不敵に笑いながらひらひらと手を振り車が見えなくなるまで見送った。これが遊戯の毎日の日課。

「さてと・・・晩飯・・何にするかな」
遊戯は一日も始まったばかりの時間から今晩のおかずを思案する。それが新婚3ヶ月たって自分なりに要領よく家事を片付けることの第一歩と悟った。
「昨日、海馬サンマ食いたいって言ってたしな・・・」
よし・・・今日は大根おろしでサンマだぜ!と決めて玄関の扉を開けようとした刹那、ふと奇妙な殺気を感じて振り返った。
「・・・!!」
そこに立っていたのは黒いスーツを着た一人の男だった。
「海馬・・・遊戯さんですね」
一瞬、だれのことか分からなかったが自分のことだと気がついて慌てて顔を上げた。するとふいに男が遊戯に一歩近づいた。
「何だ貴様は」
「申し訳ありませんが、私と一緒に来て戴きたい」
「・・・嫌だ、と言ったら?
「力ずくでも」
能面のように張り付いた顔で淡々と話すその男に異様な不気味さを感じて遊戯は一気に戦闘態勢に入ろうとした。ぐっと構えた瞬間、男に腕をとられて動きを封じられてしまう。あっという間の早業だった。
「はな・・・せっ!」
「できれば乱暴なことはしたくなかったんですけどね」
「ふざけるな!こんなことしたって・・・!」
男はスーツの内ポケットから何かのスプレー缶を取り出すと遊戯に向って噴射させた。遊戯は思わず目を閉じ、顔を背けたが一瞬、思いっきり吸い込んでしまった。
(
こいつ・・・っ!)
何とか動こうとしたが急激に意識が闇に染まってきた。目が見えなくなる。
「か・・・い・・ば」
思わず呟いた名前に遊戯は自分の胸が締め付けられるのを感じた。やがてがくりと弛緩した遊戯の身体を、男は軽々と抱え上げた。その瞬間遊戯の履いていたサンダルが一つ滑って落ちた。
男はそんなことには気もとめず、ただ影のように動き遊戯の身体を車に放り込むと急発進し童美野埠頭に向って走りだした。



海馬コーポレーション社長室では今日も海馬の怒声がとびかっていた。
「冗談じゃない。そんなくだらん条件は飲めるか!!文句があるなら我が社は撤退しても構わないと伝えろ!」,br> どうしてこうも無能な者が多いのか。
内線電話を叩きつけるように置いて深く溜息をついた。だが再度内線の呼び出し音が自己主張を始めた。海馬は唯でさえ最近増えた眉間の皺を更に一本追加して乱暴に受話器をとった。
「今度は何だ!!」
その勢いに驚いたのか秘書の声が震えた。
『はい、あの・・』
「何だ、さっさと誰からか伝えろ」
『は・・はい。それが・・・あの男の方からで・・』
煮え切らない秘書の言い回しに苛々とデスクをボールペンで叩きながら先を促す。
「で?」
『それが・・社長の奥様を・・遊戯さまを誘拐した・・・と』
かつん・・とボールペンが指から滑ってデスクに転がった。
「何だと?」
『それが・・・あっ・・』
「おい!」
『瀬人さま』
「磯野か」『はい。電話は930分丁度にかかりました。遊戯さまを拉致していると。電話はそれだけを言ってすぐに切れました。今、ご自宅の方に電話をかけましたが出られませんので部下を確認に行かせています』
「遊戯を・・拉致だと・・?」
ぎゅっと受話器を握り締めたまま思わず立ち上がった。
(馬鹿な・・拉致だと?)
先刻だ。先刻遊戯と別れたばかりだぞ!
「磯野!どんな手を使っても構わん!!1時間以内に遊戯の居場所を探し出せ!オレも自宅に戻る」
『瀬人さま!今日の1030分からの会議には出席下さい!』
「遊戯が拉致されたかもしれんのに、そんなものに呑気に出られるか!!」
『海馬ランドの着工予定についてです!!瀬人さまがいなければ話し合いになりません』
「おのれ・・・」
海馬は歯噛みした。この会議はヨーロッパの第1号海馬ランドの全てが・・・。
『遊戯さまのことは私が責任をもって命に代えても探し出します!』
「・・・」
『瀬人さま!』
磯野のいっそ悲痛な声に海馬は強く瞳を瞑った。
「・・・分かった。会議にはでる。が磯野」
『はっ』
1時間だ。その時間内で必ず遊戯を見つけ出せ!」
『了解しました!』
受話器を置いて力が抜けたように椅子に腰掛けた。
(遊戯自身が狙いか・・・)
遊戯に自覚は皆無だがよく外で待ち合わせをしたりすると必ずといっていいほど男女問わず声をかけられていた。中には強引な人間もいて海馬はその度、相手を二度とこんなことができなくなるまで制裁を加えねばならず、それはもう苦労したのだ。しかし・・・わざわざ会社に電話をかけてきたとなると
「俺への恨みか・・・金銭目的だな・・・」
(この俺に喧嘩を売るとはいい根性をしている)
「相応の礼をもって返してやるぞ!」



童美野埠頭に程近いマンションの一室のベッドの上で遊戯は目を覚ました。薬品を嗅がされたせいか頭がぼんやりとしている。腕を動かそうとしても後ろ手に縛られているのか微動だにできなかった。
「気がつきましたか」
自分に話しかけてきた男はベッドの隣にあるソファに座って、遊戯を振り返った。
興奮の色はなく静かな面持ちだった。
「・・・」
「無礼な真似をして申し訳ありません」
「そう思うなら離せよ」
声がでたことに少なからずほっとして遊戯はうつ伏せに転がったまま目線だけをあげて睨みつけてやった。
「海馬瀬人を呼び出すまでは、そうはいかないのです」
(海馬)
「目的は何だ?金か?」
「・・・」
「フン、残念だったな。海馬はオレが誘拐されたことくらいで動じる男じゃないぜ」
不敵に笑ってみせると男はなぜか納得したように笑った。
「なる程。海馬瀬人が貴方を選んだ理由が分かった気がします」
「・・・・」
「なぜ自分が人質にとられたのも分からないのでは納得いかないでしょうね。いいでしょう。お教えしますよ」
男はゆっくり足を組み遊戯を見た。
「海馬瀬人に復讐したいんです」
「復讐?」
「そうです。あの男は今や世界企業の中でもトップクラスの人間です。しかし、反面、冷酷なほど自分の利益にならないことは切り捨てていく。私の会社も海馬コーポレーションに切り捨てられ倒産しました。今まで共に過ごし愛した筈の家族さえバラバラになりました」
男は何の感情の片鱗さえ見せず、ただ口元だけで笑っていた。
「そういう男が会社と愛しい貴方とどちらをとるか・・・知りたいんですよ。そして全てを失った海馬瀬人の惨めな姿が見たいのですよ」
遊戯は呆れる思いで溜息をついた。
「それって唯の逆恨みだろ?オレは社長とかやったことないから分からないが、会社の利益を考えるのは当然のことだぜ」
それに・・・と呟いて遊戯は目を伏せた。
「それに・・海馬はオレと会社なら会社を選ぶぜ。オレもそうして欲しい。オレはあいつがどんな冷酷なことしたって全部があいつの敵になっても、あいつの傍にいられなくてもあいつの味方でいたい。あいつがどんな思いで夢を叶えるために努力してるか分かるから邪魔したくない」
「・・・素晴らしいですね・・・」
「あんたは違うのか?」
「・・・」
「あんたは自分の夢を叶えるために今、何してるんだよ。こんな下らない復讐したって意味なんかないぜ!あんたが惨めになるだけだ」
「・・・・」
男は無言で立ち上がり受話器をとった。
手馴れたようにボタンを押して呼び出し音をきいた。
一度、二度、三度・・・三度目の呼び出し音の途中で声がきこえた。
『お電話ありがとうございます。海馬コーポレーションです』
「海馬瀬人をだしてください」
『只今、社長は会議中でございます。失礼ですが、どちら様でしょうか』
男は少し遊戯を振り返った。しかしすぐにまた目線を戻して
「ではこう伝えてください。貴方の大事な人をお預かりしている者です。無事に帰して欲しいならば、海馬社長の持っている海馬コーポレーションの株を全て引き渡してください。もし要求に応じられない場合は貴方の愛しい人の全てが目茶苦茶になります。きっと死んだ方がましだと思えるくらいに。1時間後、もう一度連絡をします」
男はそういうと静かに受話器をおろした。
「会議中だそうですよ。貴方の一大事に」
遊戯は笑った。
「それでこそ海馬瀬人だぜ」
自分に感けて、会社を放り出すようなことはして欲しくない。海馬の足手まといになるくらいなら、離れた方がましだ。何のために自分は海馬の元に嫁いだ?
同じフィールドに同じ目線で立つためだ。守ってもらうためじゃない。
「海馬瀬人は幸せですね。貴方みたいな人がこんなにも思ってる」
「あんたにも、きっといる筈だぜ。あんただけのこと思って考えて、愛してくれる奴が。そいつのこと悲しませるようなことするなよ」
男は寂しそうに笑った。
「そうだといいですけどね」




二度目の電話からきっちり一時間後電話がかかってきた。会議はまだ途中だったが今度は海馬が直接でた。
「オレだ」
吐き捨てるように言って海馬は相手の出方を待った。
『やっとお話できましたね。海馬瀬人』
「貴様、誰だか知らんが、こんなことをして唯で済むと思うなよ」
『思っていませんよ。だからお互い犠牲にしましょう。大切なものを。貴方は会社か愛しいひとを。私は私の人生を』
これでフェアでしょう。と電話の向こうで笑っているようだった。
遊戯を拉致とた時点でフェアもくそもない。海馬は忌々しく舌打ちした。
「遊戯は無事なんだろうな」
『ええ。今のところは。なぜ彼のような人が貴方を選んだのかはわかりませんが、私は彼を気に入りました』
「遊戯に傷一つでもつけてみろ、貴様どうなるか分かっているのだろうな!」
『傷なんてつけるつもりはありません。まあ・・貴方次第ですが。遊戯さんは言ってましたよ。海馬さん。貴方の思うようにしろと。自分を選ぶな。そう言ってました』
海馬は目を瞠った。
「遊戯の・・・遊戯の声を聞かせろ!」
『申し訳ありません。ついさっき食事をとって眠ったところです』
「・・・」
『海馬さん。1時間後、童美野埠頭に貴方一人で来て下さい。答えを聞きます。株譲渡の権利書を持ってくれば遊戯さんをお返しします。手ぶらならば遊戯さんとは永久に逢えません。いいですね。1時間後にお一人で。これが条件です。破られれば取引もなしです』
電話は静かにきれた。受話器を下ろして海馬は息をついた。
「瀬人さま」
磯野が心配そうに声をかける。
「フン、オレは夢も会社も捨てるつもりは無い」
自分の心はとうに決まっている。机に肘をつき顔の前で指を絡めた。
蒼い瞳が微かに光った。



一時間後、童美野埠頭に遊戯は腕の縄は解かれ男に背後から抱きかかえられるようにして立っていた。
「海馬・・・こないかもしれないぜ?」
当然のように言う遊戯を少し切なそうに見つめて、しかし男は断言した。
「いいえ、来ますよ」
彼がほら・・と前方を指差すと向こうから長身のシルエットが近づいてきた。
「海馬!」
思わず無意識のうちに愛しい男の名前を呼んでいた。体が動き掛けるのを男に制されて顔を顰めた。
「ようやく逢えたな下衆が」
男を真っ直ぐに睨み海馬は瞳をぎらつかせた。
「下衆はどっちでしょうね。必要ないと分かれば冷酷に切り捨て何百人が路頭に迷おうが関係ない顔をして・・・。ふふ・・・まあいいです。早速ですが答えを聞かせてもらいましょうか」
海馬は視線をふと遊戯に移した。遊戯の表情は不思議と海馬には読めなかった。それほど透明だったのだ。
「オレは会社も夢も捨てたりしない」
「・・・」
男も遊戯も表情がかわらなかった。いや微かに、遊戯は微笑んでいたかもしれない。
「そうですか・・・それが貴方の答え」
「フン、誰が遊戯を貴様にくれてやると言った!」
「何・・・」
「俺は夢も会社も遊戯も貴様などにくれてやるつもりはない!全て!俺の持ちうる物全て!俺自身の力で全て勝ち取ってきた!それを人のお零れをもらおうなどと考える貧弱な下衆にくれてやる気はさらさらないわ!」
「海馬・・・」
「海馬瀬人」
男は不愉快そうに顔を歪めて遊戯を突き出した。
純粋な怒りだったのかもしれない。
何もかもを全て手に入れると言い切ったこの男に対して、無性に腹立たしかった。
「ならばそこで愛しい人間が死ぬのを見ているがいい!!」
ナイフを遊戯の細い首に突き立てようと腕を振り上げた瞬間、男は悲鳴をあげた。
ガン!と乾いた音が童美野埠頭にこだました。
遊戯を拘束する腕の力が緩んだのを見て海馬は走り寄り遊戯の腕を引き寄せ強く胸に抱き締めた。
「海馬!!」
腕の中の遊戯も海馬の背中に手をまわし、ぎゅっとしがみついた。男は蹲りうめき声をあげながら海馬を睨みあげた。ナイフは地面に転がり右手からは流血していた。
「なぜだ・・・」
海馬は薄く笑って近くのコンテナに潜んでいたライフルを持った男を指差した。
「デュエリストたるもの、全ての2歩先3歩さきを読むのは当然のことだ」
「・・・・くっ・・・!」
バラバラと警察やら海馬コーポレーションのボディーガードやらが出てきて男を取り抑えた。男がパトカーに乗せられる直前遊戯の名をふと呼んだ。海馬は男から隠すように背に庇ったがどういうわけか遊戯の方から男に近寄った。
「遊戯さん。私にもあなたのような人がいれば・・・道を誤らずにすんだかもしれない」
「それは違うぜ。オレがいてもいなくても海馬はきっと夢を諦めてなんかない。それに・・・あんたにもきっといる。あんたのこと大好きでいてくれる奴が」
男は微笑んだ。
「そうだと・・・本当にそうだといいですね」



「あいつ・・・どうなるんだ?」
背後に立った海馬にぽつりと聞いた。
「さあな・・・誘拐、恐喝、拉致監禁、銃刀法違反、殺人未遂・・・刑務所暮らしは長そうだ」
「そ・・・か」
「遊戯。怪我はないか」
「全然。元気だぜ。飯も食ったし、昼寝もしたしな」
「全く・・・お前の根性には恐れ入る」
苦笑した海馬を振りかえって遊戯は海馬の胸に頭を預けた。
「あいつ・・・憎めないんだ・・・」
「遊戯」
「何となく・・・悪い奴じゃない気がする。方法を間違えただけなんだ」
「遊戯。奴は犯罪者だ。お前を誘拐し俺を恐喝した。お前を殺そうともした」
「分かってる・・・。ごめん」
「遊戯。今日は会社の方にいろ。何かあっても心配だ」
海馬は目の前に止まった車に遊戯を促した。しかし遊戯は海馬のネクタイをぎゅっと引っ張り必死な瞳で見上げた。
「海馬!」
「なんだ」
「もし・・・オレが邪魔になったりお前の枷になるなら切り捨ててくれ!」
それを聞いた海馬の瞳は静かだった。
「俺が嫌いになったか」
「違う!!そうじゃなくて、オレはお前の邪魔になりたくない!お前がオレのために何かを捨てたり、諦めたり・・して欲しくない」
「馬鹿者。俺はプロポーズする時お前になんと言った?」
「え・・・と・・」
「俺の横に立って俺と同じものを見ていろ。俺はそう言った筈だ。俺が未来と夢のために戦うときは一緒に戦え。貴様を守るつもりも守ってもらうつもりもない。俺と貴様は常に対等のはずだ」
「かいば・・・」
遊戯は思いっきり海馬を抱き締めた。頭を抱え込んで自分の薄い胸に押し付ける。
「遊戯っ!」
「・・・」
どうしてこの男はこんなにいい男なのか。無性に抱き締めたくなる。
「お前ってホントいい男だぜ」
「今頃、気づくな」
ふふ・・と笑った。
「あーあ今晩サンマにしようと思ったのに」
「フン・・帰りにうまい料亭に連れて行ってやる」
「ホントか!?」
「少し遅くなるがな」
海馬は遊戯の腕にしばし酔いながら二人して車に乗り込んだ。


キリ番2000hitGETで「新婚生活2」を書いてもらいました。
闇遊が誘拐されてしまうんですが犯人をしっかり説得するなんて・・・
大砂様素敵なSS有難う御座いました。

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